TVドラマで学ぶ江戸の食文化 ~ みをつくし料理帖

NHKで5月13日にスタートする「土曜時代ドラマ」みをつくし料理帖
天涯孤独の料理人が、奇跡の料理で江戸の粋と心をつなぐ物語です。

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【出典】NHKオンライン

目次

料理を通じて人を幸せにしていく

主人公は、大坂・淀川の水害で両親を亡くした少女、澪(みお)。
空腹から盗みを働くなど人生のどん底でしたが、大坂随一の料理屋「天満一兆庵」の女将、芳に助けられ、奉公人として雇われます。

当時、板場は女人禁制。
ところが、店の味の変化の原因を井戸水の味と見抜いた澪は、その天性の味覚を見込まれ、店主、嘉兵衛から料理人に大抜擢されます。

しかし間もなく、天満一兆庵は、隣家の火で焼失してしまいます。
江戸店を任せていた息子を頼り、嘉兵衛、芳、澪は江戸に下ります。
澪は、蕎麦屋「つる家」の料理人として腕をふるうことになります。

普段は緊迫感がないけれど料理になると感情をあらわにする澪は、厳しい修業を積みながら、波乱に満ちた人生を歩みます。
上方と江戸の味付けの違いに戸惑い、ライバル店の激しい妨害に遭い、身分違いの恋に悩み、料理人仲間の死を乗り越え、つる家を評判の店へと成長させていきます。

TVドラマ化は3度目、初のシリーズ化

これまで2012年と2014年に、2時間枠のスペシャルドラマとして、テレビ朝日系列で放送されました。
今回は3回目のドラマ化。
主人公の澪役は、黒木華さんです。

2017年4月よりリニューアルされる「土曜時代ドラマ」(旧「土曜時代劇」)の第一作、全8回放送ということで、各エピソードをしっかりと描いてくれそうな期待が膨らみます。

原作は「食文化ギャップ」を盛り込み大ヒット

みをつくし料理帖は、高田郁氏原作。
2009~2014年の全10巻で計300万部超の大ヒットを記録した、時代小説シリーズです。
舞台は文化~文政時代の大阪~江戸です。

著者曰く、作品の着想は「文化のギャップ」。
兵庫で生まれ育った著者が上京時に感じた驚きの「食文化ギャップ」体験をベースにして、上方から江戸に下った主人公の「初めての江戸」を読者が追体験するストーリーの骨格ができた、と語っています。

作中登場する料理は、大阪・江戸での文献考証の後、著者自身ですべて再現しているとのこと。
その姿勢は素晴らしいですね。

各巻末にレシピ集「澪の料理帖」が収録されていますが、原稿に添付された料理写真を見た担当者に「お腹が空きます」「美味しそうです」と大好評を博したので、「それならレシピも付けよう」となったらしいです。
これまた素晴らしい!

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当時の江戸は、世界最大のグルメ都市だった!

みをつくし料理帖の背景となる時代を、少し詳細に見ていきましょう。

江戸はもともと幕府の計画によって造られた都市で、初期は江戸城を中心として周囲に武家地を造り、そこに商人や職人を住まわせる形で発展していきました。

まったく生産活動しない巨大消費階級である武士のために、大量の食料供給が必要でした。
また、天下泰平になるにつれて移住者も増え、度重なる火事の復興人足たちがその後定住し、18世紀初頭には江戸の人口は100万人に達したと言われています。

(【注】諸説あります 江戸の人口 – Wikipedia

化政文化とは、江戸に花開いた「町人文化」のこと

文化(ぶんか)は1804~18年。
文政(ぶんせい)は1818~30年。

文化~文政の年号を取った「化政文化」は、この時期に顕著に発展した江戸の町人文化のこと。
食文化はもちろんのこと、浮世絵、滑稽本、歌舞伎、川柳などの庶民文化の全盛期にあたり、国学や蘭学の大成した時期でもあります。

大都市の高度な分業化により、外食を楽しんだ庶民

化政当時の人口構成は、武家:町人比=50:50。
武家はほとんどが単身赴任だったので、全江戸人口の構成割合で見ると、男:女比=80:20程度だったと言われています。

【出典】図録▽江戸・大坂の町人人口と性比(江戸時代)

この圧倒的に少ない女性比率が、背景として、効率的な食料供給、つまり外食業界の隆盛を後押しします。

また、都市一気に膨張している時期なので、地方からの出稼ぎが急増しました。
こうした、定まった職場のない日雇い労働者などが、外食需要を支えました。

当時野菜、魚介、調味料などの食材は、店舗でも販売されてはいましたが、「棒手振り(ぼてぶり)」と呼ばれる天秤棒を担いだ行商サービスが、その流通の主役でした。

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この棒手振り。
元々は食材を売る商売でしたが、次第に惣菜、飲み物などの加工品も手がけるようになり、しまいには「買ったその場で食べたい」需要に応え、焜炉に火を入れて持ち運び、焼き魚、焼き蛤、鰻の蒲焼き、蕎麦、おでん、寿司、茶飯、汁粉など、食事まで提供するようになりました。
燗酒を出す棒手振りすらあったようです。

こうした旺盛な食料消費需要に対応し、当然、料理店も成熟していきました。
上級武士相手の高級料亭を頂点に、小料理屋、居酒屋、屋台など、様々な形態の料理屋が百花繚乱しました。
1804(文化元)年には、江戸の料理屋は6,000軒を超えたと伝えられています。

【出典】図録▽東京の飲食店・江戸の料理店 東藝術倶楽部瓦版:江戸の外食産業

こうして江戸では、「外出には弁当持参」スタイルが「手ぶらで出掛けて外食」に変容し、庶民に至るまであらゆる階層が、外食を大いに享受していました。

そうなると、店をランキングしたくなるのが人の常。
江戸市中の本格料理店を網羅した「御料理献立競(おりょうりこんだてくらべ)」が発行されていました。
この化政版ミシュランガイド、まるで相撲の番付表です。

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【出典】東京都立図書館 大江戸データベース

物語の中でも、この番付を巡っての熾烈な競争が描かれています。
まさに量が質を高めていくような、食文化の爛熟がそこにはあった、ということでしょう。

世界最大人口を誇る江戸でのグルメな高みは、こうして生まれたのです。

如何でしょう。

食は人を幸せにできるのか、食文化とはいったい何か。
いろいろなことを考えさせられるこのドラマ。
江戸の食事情はもとより、料理番付、御膳奉行、将軍の御膳番、吉原の料理番など、満載の小ネタも実に魅力的です。

魚介が「主役」のエピソードはあまり原作に多くないのですが、肩ひじ張らずに、楽しんで観ようと思います。

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